世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

それはむしろ逡巡するのが普通だと思う。


人にきいた話では、ハーレクインでもBLでも、最初にやっちゃってからウジウジグジグジ、最後に愛を確かめてハッピーエンドという展開が王道なのだそうですよ。
なんでやっちゃってからためらうのさ、と笑う人も多いようですが。
だってさ。
基本的に女は「やられ損」なんだからさ。その後に「この人で大丈夫?」「身体目当てだったりして?」「これで捨てられたら目もあてられない」「気持ちを確かめたい」という展開になるのは、この男社会の構造上、むしろ自然なことに思われ。商業的な縛りのあるジャンルであれば、多くの女性の心理にしっくりくるパターンが選ばれるのは当たり前のことでしょう。BLだって受けは、基本的にやられ損な訳でさ*1
それを笑えちゃう人は幸せねえ、と思う訳です(←念のため書いときますが皮肉ですよ)。
そういう展開を書かずにすむからこそ、商業媒体より同人誌、と思ったりもするのです。
ということを先日、日経ウーマンを愛読する友人に訴えてみたりしたのですが(笑)、いや、理解してもらえましたよ。
それは、逡巡するのが普通だって。

*1:女性が自分と同一視するにしろしないにしろ、第二の逡巡から照らして、そういう側面があるのではないですか?