世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

先日の話なんですが。


昔つきあってた人の夢を見ました。
私が余計なことをやらかしたので、怒りながらとんできた。
申し訳なくて謝ると、「いいよ、今晩はもう帰れないから、朝まで一緒にいるよ」と言われ。
それが嬉しくて目が覚めた。


うあー。


いや、「なんて都合のいい夢!」という訳でもないんです。
実際そういう人だったので。
あんまり良い夢は見ない私ですが、前の晩に読んでいたものの影響かなんかだと思うんです。いま不安に思っていることがあるので、それを埋め合わせたくてそういう夢を見たのかもしれない。
というか、漫画やドラマのお約束展開じゃんかよそれ、と改めて思った、というのが正しいです。人と人との力関係の基本形の一つなんだよね、これ。親と子とか、友達同士、恋人同士など、つまり永続的なつきあいにおいて発生しがちなことです。
私は「人は絶対にひとりでは生きられない」と断言するほど、一人で立っていられない人間なので、どこにいってもアンカー(錨)になってくれる人を探します。そういう人が見つからない場所には、どうしても留まれない。そういう人が奪われたら、動揺のあげく、あらたなアンカーを探してさまよいます。そして必ず、求めさえすれば、自分をこの世につなぎとめてくれる人は現れるものです。
ものなんだ、けどね。


ここ十年ばかり、海外の♀♀(♂♂もとりまぜて)小説を、ぼちぼち原文で読んでいる訳なんですが*1
キーワードとしてよく「excess」という言葉が出てきます。
「過剰」という意味です。
過剰といっても、派手な衣装倒錯とか、わざとらしい女言葉とか、そういう過剰さでなく。
たとえば「巌窟王」だったら、フランツの、己が命をかけてまでの献身とか(文字通り「自己犠牲」)。
フェルナンの、何者にもなれぬゆえの支離滅裂さとか。
目には見えにくいけれど、やはり「逸脱」としかよびようのない、それ。


それによく似た、一種微妙な「過剰さ」が、私の中にあります。
「しるべ」を必ず求めるのは、この「過剰さ」への恐怖が大きい。
実際は、過剰というよりは支離滅裂だし、アクションにはものすごくブレーキがかかる訳ですが。


「不安な自分をありのまま受け止めてほしい」「自分がゆきすぎている時はきちんと止めてほしい」という気持ちは、子どもっぽい甘えにきこえるかもしれませんが、人の基本的な欲求です。そして、受け止めてもらってきたから、今の自分がある。だから、危険な意味で逸脱しているのでないなら、別に構わないはずなんですが。
なんで怖いんでしょうね。
自分でわかっていることが。


脊髄反射の、本当に底の浅い人間なのにな。
というか余裕がないから怖いのかもな。


せめて職場で絶不調中な人には「どうしたんですか?」ぐらいのこと訊けよ……。

*1:本当にぼちぼちなので、専門的なことは訊かないでください。ちなみに「やおい」「BL」「ポルノ」でない、ホンモノさんによるホンモノ小説です。