世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

4月からまた契約がかわるので


夏以降、新たな錬金術の方法も考えねばいかんかなあ、と思いつつ(最悪の事態にいたらないことを祈りたい)。


資料用の本に目を通していて思うのは、まったく違うジャンルの小説でも共通している物語の構造ってあるなあ、ということです。
なぜここで同じ言説がでてくるのか、という。
影響を受けているのか、無意識なのか、こういう話にとって必須なのか、とかね。
その謎がとけると自作の再構築に役立つかもな、とか(貧乏性)。


様式美、というのとも違う気がするんだよな。


ハリウッド式(問題→解決)やらハーレクイン式(対立→和解)のような単純な形の方が、いろいろ小道具つっこまないといけないんで、それなりに難しかったりするというのは承知しておりますが。


今日はいいや。寝よう。


拍手ありがとうございました。