世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

今頃3月16日のレポを


某所で知った、成蹊学園創立100周年記念行事「成蹊ミステリ・フォーラム」に参加してきました。


同日は中等部の卒業式でもあったようで、校舎前で集合記念写真をとっているお嬢さんお坊ちゃん方がいるのにでくわし、「こんな日に、外部からの人間がゾロゾロと入っていっていいのだろうか」と首をかしげつつも、まずは受付のある情報図書館へ。
体調不良で、当日朝、小田急線を一駅のりこしてしまったりもしましたが、受付10分前に到着することができ、まずは「ミステリSFコレクション」書庫見学の整理券をもらいに行きます。一度に入れる人数に制限があり、五回に分けて見学する形をとっていたようです。私はぶじ、初回の11時からの番号2番をゲット(他にも待っている方がいらしたのですが、レディファースト?なのか、順番を譲ってくださいました)。はじめてきたところですので、大学内を歩き回り、それぞれの施設のだいたいの位置を把握してから、会場のある、2号館へ。
入り口で、貴重品以外の荷物を預けて、成蹊大学図書館地下の、書庫へ入ります。
一番びっくりしたのは、書庫の案内の一部を、東京創元社相談役、戸川安宣さんがしてくださったことです。
戸川さんは、創元の編集長をつとめた後、ミステリ専門書店「TRICK+TRAP」をやってらっしゃいましたが、体調不良で閉店されてしまい、その後の消息は、ブログ「パン屋のないベイカーストリートにて」でしか拝見していませんでしたので、お元気な姿を間近で見られて、とても嬉しかったです。
こちらの大学のコレクションは、戸川さんの蔵書を寄贈したものに、他の方の寄贈を足してつくられたもので、「売れた本も、絶版になってしまえば入手不可能になる」という戸川さんの持論に基づき、希少本でない本も含めて、帯付きビニール掛けで数万冊が所蔵されています。もちろん貴重な索引本などもあり、研究者にとっては素晴らしいコレクションとなっています。まだまだ書庫に余裕があるそうなので、これからの寄贈も楽しみです。


学食で軽くランチをすませてから(学校前にコンビニがあり、そこで買ってすませてもよかったのですが、油淋鶏定食など食べてみました)、情報図書館へ戻り、本日の目玉展示(限定公開)である、「夢野久作から森あやへの手紙」展示をみにいき、成蹊大学国文学科大学院生の方から、説明を受けます。
夢野久作龍造寺隆信の子孫で、名家の子息らしく、子どもの頃から和歌や漢文をしこまれたそう。お父さんが玄洋社系の国家主義者の大物、杉山茂丸というのは知ってましたが、息子さんが、インドの緑化に100億円を投じ、ご当地でグリーン・ファーザーと呼ばれて尊敬されているというのは知りませんでした。
森あやさんというのは、茂丸が外でつくった娘で、久作の異母妹にあたる人なわけですが、その存在をしった久作は、彼女を気の毒に思い、文通を開始して、兄らしくつとめます。あやさんは早くにお母さんを亡くし、祖父もなくし、渡辺さんという人と結婚したのですが、渡辺さんがすぐに森家に養子に入ってくれたので、最後まで森あや、で過ごしたそうです。その大量の手紙が古書店にでて、その後、成蹊大学に寄贈されたため解読、翻刻され、久作の空白期間とよばれる時期を埋める貴重な資料となっているようです。抜粋は「成蹊国文・第四十六号」で読めるそうなので、興味をもたれた方はそちらをどうぞ。当日のフォーラム参加者は、抜き刷り(コピー)がもらえました。
手紙は当時のくずし字で書かれているので、ぜんぜん読めないだろうと思っていったのですが、きれいな字で、翻刻とてらしあわせなくても読めるところもあり、これは妹へ対しての配慮なのか、それとも元々、こういう手跡なのかな、と思いました。
「瓶詰の地獄」にでてくる妹の名前が「あや」であることや、あやさんが妊娠した時に、いろいろと体調などについて尋ねており、それがドグラ・マグラの奇想の元になったのではないか、という説明もありました。前者は近親相姦話なわけで、それをいきなり結びつけてしまうのはどうかなーとも思いましたし、久作自身にも何人か子どもがいるわけで……と思ったりもしました。


13時半からは、4号館ホールで、講演会です。
入り口には、ミステリマガジン他、古い早川系の雑誌が並べられており、「お一人様15冊までご自由にどうぞ」ということでしたので、EQMMほか、少しもらってきました。蔵書のダブりで状態のよくないものということだそう。さすが、戸川さんのコレクション……。
当日のレジュメ数種をいただいて、会場内へ。体調がすぐれないので、途中退出できるよう、通路に近い席を確保します。


最初の講義は、成蹊大学大学院日文専攻のゼミの学生さんと、浜田雄介教授による「夢野久作から森あやへの手紙」の補足です。
夢野久作はもともと作家志望ではなく、退役後、まかされた農園の経営を失敗したために、父の会社である台華社にいれられて、その会社の用箋であやさんに手紙を書いたりしています。
日本文学の研究なので、字遣いの変遷や文体、仮名の使い方などについての分析も公開されていました。彼の手紙は、久作らしい文章もかいま見えますが、全体的には優しい心遣いのある、兄らしいものであるようです(ちなみに会場には、森あやさんのお孫さんなる女性もいらっしゃいました)。


二つめの講義は、茨城大学の谷口基教授により「変格探偵小説と山田風太郎」。
題名から、いったいどんなふうに飛躍・展開するんだろうと思っていましたが、実際にはとても、わかりやすい講義でした。
明治二十年代に、黒岩涙香らによる探偵小説の紹介があり、最初の探偵小説ブームがおこります。この時点で、涙香は、はっきりと探偵小説とは何かという定義を行っていて、それが後にいわゆる「本格」の定義にかわっていくことになります。
戦前に第二のブームがおこりましたが、これは「新青年」という専門誌ができて、探偵小説の名のもと、他のジャンルにおさまりきらない、様々な奇譚(変格)が発表されたためです。ただしこれらは、不健全な小説として、関東大震災から戦争にかけて、少しずつ取り締まられていきます。
ここからが本題で、戦後にいわゆる変格物を書いて流行作家になった山田風太郎は、なぜ戦中派と自称していたのかというと、この、戦中、戦前の時代のエキスを自分が継承しているという自負があったのではないか、と谷口先生は推論するわけです。「いまや変格という言葉は、京極夏彦の小説にでてくる以外は死語で、現在はミステリという単語に包括されてしまっているわけですが」という谷口先生の言葉には、拍手を送りたかったです(若いミステリ研究会系の人で、いまだに涙香時代の議論を蒸し返してらっしゃる方もいるかとも思いますが、この認識はとても正しいと思います)。
なぜ、風太郎は神への疑念を書いたのか、あえて、江戸時代を舞台にした忍法帖を大量に書いたのか(忍者の活躍は本来、戦国時代がメインで、江戸時代は不遇の時代だった)、それは彼が負け戦を描きたかったからではないか、戦中の無名の人間の死、その無念を書きたかったからではないのか、という指摘は、たいへんわかりやすく、腑に落ちました。


三番目の講義は、井上健教授による、「『モルグ街の殺人』はどう読まれてきたか――アメリカ探偵小説と近代日本」。
これは大変密度の濃い講義で、ある程度文学的な背景を知っていないと難しい部分もありましたが、井上先生の「なぜポーはモルグ街の殺人を、フランスを舞台にして書いたのか。ホームズでさえ、母方はフランス人だということになっている。それは、フランス革命の影響もあるだろうし、ヨーロッパでいちはやく警察組織が整ったのもフランスで、フランスの精神性もあったろう。古典的階級制のあるところが南部貴族にふさわしかったし、なによりパリが舞台だと売れる(日本で旅モノが売れるのと同じ)」という指摘には、「なるほど!」と思いました。
ちなみに「モルグ街の殺人」の被害者の家族構成は、ポーの生い立ちそのままだそうです(けっこう悲惨ですね)。
また、ポーが出した本で、生前に唯一よく売れた本は、キュビエ『貝類学入門』という本で、モルグ街のオランウータンの説明も、キュビエの本からとったことになっていますが、実はキュビエの説明とまったく違うことが書いてある、という指摘も面白かったです。当時のアメリカの黒人は白人とうまれからして違って知性がない、などという誤った認識が作品に反映されているのでは、というのも、うなずける話でした。


四番目の講義は、島田荘司氏による「ミステリー史とWHATDUNIT」。これは事前に内容が大学側にも知らされていなかったらしく、レジュメはありませんでした。なんでも現在、御手洗物を書いており、冒頭300枚を一ヶ月で書き上げて、メフィストに渡したばかりとか。
前二人の教授のお話が大変充実していたため、実作者である島田氏のトークは、いささかゆるく感じられましたが、全身黒で身をつつみ、ゆっくりした低音で話す姿は堂に入っており、「あー、若い女性ファンはここらへんにひきつけられるのか」と思いながら見ていました。
まずは「成蹊大学には、ミステリ研究会がないというので、つくりましょう」という提案から。ミステリ研究会の若者たちが、僕と新しいムーブメントをつくってきて久しいわけで、とさりげなく自慢も。
それから、ざっくりとミステリの歴史を語ります。ポーが最初に推理小説を書いたというのは、ほぼ固定の認識だと思われるが、それまで猟奇的な事件はそうでしかなかったものを、陪審員制度ができていたフランスで、読者が陪審員として事件を裁く、という、かつてない新しい読書体験を提供したのではないか、ということ。
ポーを推理小説の始祖とすれば、推理小説をゲーム化したのはヴァン・ダインで、綾辻行人ヴァン・ダインのやり方を意図的に踏襲している、と説明します。人物の記号化・限定された舞台・文章の未熟さが指摘されたけれども、それは本人は狙って書いたものなんです、という説明がされました。ただし、この手法はやりつくされてしまっており、新しい作品を書くにはヴァン・ダインでなく、ポーのやり方でないと難しいのではないか、自分はポーのやり方で行く、というようなところで、話が結ばれました。これが最後の時間でしたので、成蹊の中等部さんたちもやってきて、聴いていたようです。


懇親会は事前に申し込んだ方のみしか出られないので、今回は参加できませんでしたが、おそらく有意義な会話がかわされたものと思います。
後日、戸川さんから、お渡しした拙著『キャロル』の感想などもいただけて、本当に嬉しかったです。
有意義な一日でした。成蹊大学の皆さん、ありがとうございました。


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