世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

久しぶりに思い出した言葉。


知人のサイトをのぞいていて、ふっと思い出した言葉があります。


国粋主義者」。


「日本のここが素晴らしい」「日本バンザイ」「日本頑張れ」と叫ぶ人は全然気になりません。
素晴らしいところも沢山ある国だと思うし、自分も「万歳!」な気持ちになることもあるしね。
じゃあ一体、どんな人が気になるのかというと、
「日本を賞賛しない日本人・日本政府の利益にならない日本人はすべてダメ」と叩く人。
うーん。
それはナンカちゃうんでないかい?


一度なら読み流してしまうんですが、繰り返しバッシング系の記事が現れるので、「ああ、この人は国粋主義者なんだなあ」と思った。お父さんの仕事の関係なのか、それとも同居人の影響かな等と余計なことまで考えてしまうのでした。普段は温厚な人なので、そのギャップに驚いただけのことなんですが。


話はちょっと飛びますが。
私はいわゆる「お育ちが良い人」というのは、「育ちがいいため偏見から自由で、相手をみだりに見下したりしない人」のことだと思っています。
大学の授業で「学校の先生にはね、意外に世間知らずのお嬢さんが向いていたりするんだよ」と言われたことがあります。「下手にスレている人間より、相手を信じることができる。ひたむきに頑張れるということがある」だとか。それはわかる気がした。色眼鏡かけまくりの大人には子どもは心を開かないけれど、天然ボケでも素直に頑張っているお嬢さんがいたら、普通の子なら「しゃーねぇなあ」とつきあってみるのではないかと。それはひとつの美しい交流です。


大学がいわゆるお嬢さん学校だったせいか、「お育ちの良い人」も結構見ました。きっと今でも素敵なレディであろうと想像のつく知人もいます。学校に限らず地元でも、貴金属商や社長令嬢などが近所にお住まいでして、「あの家はちゃんとした金持ちだな」「あの人は本物のお嬢さんだな」と思う人もいました。
でもね、中にはエセお嬢さんがいる。
どこでどう歪んだものか、へんちくりんな身分意識をひけらかす。いつも相手をバカにして平気。鈍感なので、自分が冷ややかな目で見られているのにも気付かない(もしくは見下してるので、皮肉を言われても気にとめない)。「あのね、普通のお金持ちはもっと普通に生きてますよ? アナタいったいナニサマなので?」と、思わず呟いてしまうような人がいる。


そういうのってむしろ、「お育ちがよろしくない」って、言っていいんじゃないかと思ってるんですが。


お育ちだから、改まらないだろうしなあ。
周囲に心ある人がいたとしても、いずれはつきあいきれなくなって離れていくだろうしな。


お気の毒なことですよ。