世界の果てで、呟いてみるひとり。

鳴原あきらの過去・現在・未来

雨と高温のせいで、大掃除とまではいかなかったんですが。


月曜日に代休をもらえたので、ちょっと旧作と向かいあってみました。
首をつりたくなりました。
折からコミティアの委託も帰ってきたんですが、予想どおりの結果でして。
どうしようかな、次回の委託参加、とため息が出ました。
するにしても、新刊だけにしようかな。
あまり迷ってると申し込みを逃してしまうのですが、考え中です。
やっぱり、面白くなきゃ読んでもらえないんだよな、という基本のところをつきつけられており。


去年から今年にかけて、実はいろんな人から期待されていたことを知る機会がありまして、あらためて自作を振り返って愕然とした訳です。
「自分、この数年、何やってた?」と。
その期待に応えられてない。形になってない。
いや、昔だってそんなに立派なもの書いてた訳じゃない訳ですが、もう少しまとまったものとか、深いものとか、どこかに「進化」はないのか、という。
だって、小説らしきものを書き出して二十余年ですよ?
それなのに。


根性さえあれば、迷走していてもいずれ光は見えてくるものですが、まだだいぶ暗いままの感じで。
書きたいものはあるので、ひとつひとつ丁寧に仕上げていけばいいだけの話のはずなんですが。


新作は当然書く訳ですが、いま、絶版状態(ウェブでも読めない)になっている旧作がたまっているので、それを手直ししたいと思っています。あともう一つ懸案のプロジェクトがあるのですが、これ、やり通せるだろうか、みたいな。
「これって逆境?」と思うと張りきれるタイプなので(私の陥る逆境なんてヌルいもんですから)、たぶんやれるとは思うのですが。
朝、目が醒めた瞬間に「もうどうでもいい」という言葉がワンワン鳴り響いている状態じゃ、翌日は一日寝ていたくもなる。


最近、調子をはずしすぎだ、と思うのは気のせいでないかもしれません。
この日記でも、見る方が不快な表現が復活しつつあるような。
配慮が足りない人間で、あとでひそかに申し訳なく思っております。


ほんとうです。


コロンバインのボーリングの映画、二度目を見たあとに迎える9月11日は、そらぞらしいばかりでした。